昭和45年8月22日 夜の御理解                   明渡 孝




 先日から、八女郡の山内教会の総代さん方が、ここにご参拝をしてみえました中の一人で、もう七十からなられるおばあさんが、最近目の不自由な方が一人参っておりましたですね。あの方が、今日はお参りをしてまいりました。
 いよいよ「恥を忍んでお参りさして頂きました」と言うてお届けをされますのに、私はだいたい、昭和二十七年に学院にまいりました。当時は半年間でしたが、教師の資格も頂いて帰ったほどしの者でございます、というて前置きしてね。先生なんですね、お道の。
 そして、私ども夫婦は、八女郡でも指折りな大きな材木屋でございました。それで夫婦が一生懸命信心にならせて頂いて、夫婦の者が教師の資格を頂いて、そしてとうとう、いろんな事情で教会を持つことはできませんでしたけれども、まあ山内教会の御用に夫婦でおかげを頂いてまいりました。
 ところが、七年ぐらい前からですかね、白内障で片一方が全然見えなくなり、片一方ももうほんとに僅かばかりのその、そうでしょう、今日は私が(  ?  )にお茶を出しましたけれども、お茶をこう探りなさらんならん、( ? )な茶碗を、ぐらいに目が悪い。ようそれでここまでお参りができましたですね、と言うたら、先生、一年でございますっち、お参りするのにですね。
 どうでもあの時お話を聞かせて頂いた中に、ここではもうまるっきりの盲目の方が、目を頂かれたり、失明しておられた方が目が開いたというようなお話を頂きましてね、実はもう止もうとてもたまらんでお参りをしたかったのでございますけれども、まあいろんな事情で今日になった、というていろいろと、まあ懺悔話などなさったあとにですね、「先生、どういうような信心をさして頂いたならば、もう両方とも見えるようにとは思いませんけれども、もう少し視力を頂かして頂き、御用ができるくらいなおかげを頂きたい」と言うてその、涙ながらのお届けでございました。
 ●私それを聞かせて頂いておりましたらね、御心眼に、ちょうどクモの巣を張ってますように、もうたくさんの何かのつながりとでもいうでしょうかね。ですから、お互いのその難儀ということ、目が見えないなら見えないということでもです、それはもうたいへんなたくさんな原因が一事・二事じゃないち。こげんしたから目が悪くなったじゃない。もうそれにはね、もうそれこそ無数のクモの巣ばほどにたくさんの原因があって、その中にクモが止まっておるようなもの。決して空にぶらさがっておるのじゃない、ただ単に目が悪くなったというだけじゃない。
 目が見えなくなるということは、それはそれ相当の原因があってのことだ。だから、それを一つ詫びたから、二つ詫びたからということではないけれども、というて私はお話させて頂いたんですけれどもね。
 栗谷、栗谷さんのお話ですね、久富先生の遠い親戚にあたりますが。あの人は、(ほうぶんさん?)の参謀を務められた方が、胸の病気で夫婦とも寝ついておられて、ここのお話を聞かれて、私はわざわざあの土地に、(かみしまき?)じゃない、それは、(    ?      )ですかね。
 あちらへ住んでおられるのは、私はもう夏の炎天に歩いてお話に行ったことがあります。その時に、ご主人の栗谷さんがお礼なり、またお願いなりにお参りをしてみえた時の御理解がですね、どういう御理解であったかというと、死ぬまいとね、思う心が疲れるということでした。
 もうそれこそたくさんな実習にも参加しておられ、いわゆる玉の下をくぐってきておられる方ですからね、それがもういっぺんに分かったんですよね。「はあ、これはもう、自分達夫婦が死んだらどうなるだろうか。私の子供達がどうなるだろうか」というその思いで、「どうか助からんならん、助からんならん」という思いが疲れる。その疲れる心ではおかげにならん。
 だから、「死ぬまいと思う心が疲れる」と。それからずっとお参りをされるようになり、ご主人の方はもう、そうですね、その年の暮れには、胸の病気が悪いまま今の自衛隊の隊長の試験を受けられてから合格されました。その時なんかは、おかげを頂いてから、胸にはっきり傷があるのに、向こうのレントゲンに映らなかったというほどしのおかげを頂いた方なんです。今横浜におられますよね。
 その方の話をさして頂きました。だから、あなた方の場合でもです、もう少しでも視力が頂きたい、目が見えるようにお願いします。それにはどういう信心したら良いだろうか、というのではなくてね、もう目くらになってもかまわんと思いなさい。なぜかというと、目くらにならんならんほどしの、これほどしの神様のご都合があるんですから。ね。
 それこそクモの巣のように、たくさんその原因があるんですから。もう目を開けて頂きたいといったような無理な願いをなさりますな。いわゆる「死ぬまいと思う心が疲れる」どうかひとつ目を良くならしてもらいたい、というその心が、毎日毎日疲れるのですから、もうこのまま、まるっきり見えんようになっても良いという腹でおかげを頂きなさい。
 と言うたら、おばあさんですから、学院にでも行かれるくらい、金光様の先生の試験でも通られるくらいですから、それが分かられるんですよね。涙をポロポロ流してから、ほんとにそういうこととも気が付かずに、ただ良くならして下さい、目が見えるようにならして下さい、とばかり願っておりました。どうも私どもの教会は、目のめぐりがあった。親先生というのが、現在盲目ですね、もうここ三年で目くらになっておられます。まあこれは全然見えられない。それに、総代の私もこのような状態だとこういうわけなんですけど。
 それからね、例えばね、そうして死ぬまいと思う心が疲れるのですから、もう「死んでもままよ」という心になったら、心が楽になったようにです、栗谷さんがそこからおかげを受けられたように、もう目くらになってもかまわん、と思うたら心が楽になる。楽になる。その楽になる心が今度は、自分自身の心がおかげをキャッチするのですよ、という御理解。
 そしたら、また泣かれた。もうほんとにね、例えば随分お話も頂いてまいりましたけれども、今日、ほんとに心に眼が開いたような思いでございます、というて今日は喜んで帰られました。
 「死ぬまいと思う心が疲れる」いわゆる、目が治りたい治りたいという心では、心がいつも重たい。けれども、もう目くらになったっちゃよか、これほどたくさんの神様のご神意、ご都合があってのことだから、目くらになってもかまわんと思うたら心が楽になる。
 だからその、今度はおかげを頂くのではなくてですね、もう自分の心が楽になる、その楽になる心がおかげをキャッチする。いわゆる「おかげは和賀心にあり」というようなこと。
 私はもう、今日はそれをお取次ぎさして頂きながらですね、何という素晴らしいお取次ぎであろうか、なんという素晴らしい御理解だろうかと思いましたですね。いっぺんそこに、目くらなら見えんごとなってもかまわん、という心をつくらせておいて、その心がおかげをキャッチする。「おかげは和賀心にあり」というのはそのことなんですよ。これはもう一事が万事にそうだ。
 ですから、一生懸命信心さして、いわゆる「どうでもよい」という心ですかね、なら信心もせんのに、修行もせずに「どうでもよい」というのは、これはもう投げ槍です。一心の真を尽くさしてもらい、また神様のご都合でこのような結果になったのであるから、神様のご都合に対してお礼を申し上げるような心にならしてもろうて、いわゆる右になる左になるは、もうあなたにお任せをするという心になる。その心が楽になる。その楽になる心が、今度はその心がおかげをキャッチする。その心がおかげを受け止めることができるというんですからね。
 私、その事実からでもほんとにありがたいなと。また、この次にお参りさして頂くことを楽しみに迎えさして頂きます、というて今日は帰っていかれましたが。ほんとに様々な問題、いわゆる昨日の御理解じゃないですけれども、めぐり。めぐりというのは、めぐってくるとこういうこと。そういうめぐり合わせになっておる。いわゆる仏教でいう輪廻。その輪廻というものがです、いわゆる目が見えなくなってきた。だから、ジッとしとりゃまたおかげを頂く。
 それを「おかげ頂きたい、目が見えるように」とこう言うからです、いつも日陰で日陰を追うていくような結果になる。ちゃんと待っときゃ日の当たるところが必ずめぐってくるという意味なんですよね。どうぞ。